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米一合

  KOCOMATSUにお米が届きました。小さな呼びかけを初めて来ましたが、それはどこまでもコツコツと継続していける具体的な事として自分が思う事を始めています。

 その思いを受け取って、少しずつ動き始めてくれる方がおられます。一合以上持っていっても良いですか?との問いもありました。勿論、大歓迎なのですが、一時期にどっと集まることの大切さと同時に、長くこの震災の事を思い起こし続ける大切さを感じています。

 そのための工夫は、それぞれが思うところで良いのだと思います。今回お持ちくださった方は、今は仕事に就く事が出来ないので、お金は出せないけれど、お米なら出来ますとのことでした。

 毎日一合でも、一週間に一合でも、1月に一合でも、何かあるごとに一合でもいいのです。地道に続け彼らを忘れない事が、生きるための米になって届く。

 かつて、ある集まりに急遽参加する事になりました。ちょうどお昼の食事時でした。この時、一人一人が自分のお皿から、スプーン一つ分を分けてくださいました。その結果、私のお皿にはだれよりもたくさんの食べ物がありました。

 あれこれ言葉にすることも必要ではあるけれど、具体的な行動を伴うことが必要な気がします。米一合なんて...というよりも、まず心のこもった米一合を差し出す。そうやって生きる。許される限り、出来る限り、米一合と言い続け、届ける。

 これは被災者だけでなく、追い詰められ食べる事を断念するほどに困窮した人たちにも必要なのだと感じています。一握りの米が、どれほど心を支え、繋がりを生み出してくれるのか...。

 まず、自分の心で、そうしようと思う事を始め、継続する。こうやって、木々も花々も芽を出し、花を咲かせ続けてきたような気がします。

 無理なく、心底出来る事を、一歩前に出て、始める。そんな気持ちを自然の引き出してくれる、一つの空間。顔を出してくださった、久々のKさん、Kさんに紹介されてやってきたお友達、今朝お米を届けてくださったTさん。それぞれが、春を予感させる柔らかな光の中で、それぞれの思いを伝えてくださいました。ありがとう!
by ravenono | 2011-03-29 11:27 | KOCOMATSU
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