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素朴に響きを感じ楽しむこと

KOCOMATSUでちょっとドラムを叩きたい。ラブフルートを吹きたい。そんな連絡が入って、お母さんと子供さんがやってきました。親子で音の響きを楽しむためにやってくる。こういうのがいいな..と思ってました。

 これまでにも、初めて親子で音楽を楽しまれた方たちがおられました。一昨日は、トンコリの響きを楽しみたいという方たちが夜のKOCOMATSUを楽しんでおられました。

 ゆっくり、それぞれがKOCOMATSUと繋がっていく様子を見ていると、確かにこういうスペースってあまりないかも..と感じました。

 しばらくライブの動きがあって、あちこちに音響設備を積みこんで出かけているのですが、KOCOMATSUでゆったりラブフルートを吹くと、ほっとします。広い会場や沢山の方が集まる時は、聴こえないぞ~ということにならないように音響設備を使います。

 生の響きを電気の力を借りて増幅したり、加工する。こういうライブが大半ですから、さして違和感がない方も多いでしょう。ですが、ときおり、ライブを終えてから、スピーカー使わないで聞かせてくださいと言われることがあります。

 CDとは違う、生身の演奏を聴くと云うことでは、ライブは生音に近い気もしますが、やはり音響を通すと云うことになると少なからずスピーカのノイズもあるわけです。イメージを作るために、響き方もそれなりに調整します。

 KOCOMATSUにはそれがない。何にもないので、つまらないかというと、全く逆で、楽器の響きがよ~く感じられるのです。そして、人はたくさんは入らない。

 大きなステージ、沢山の人数になればなるほど、そこには音楽本来の響きが失われていくのかもしれません。音楽がプライドや稼ぎの大きさ、人気の有無でやりとりされると、肝心なものを失いかねないような気がします。

 今日も、のんびり、自分の呼吸から生まれる木々との触れ合い。その響きを感じたいと思われる方たちとの出会いを楽しみつつ、KOCOMATSUで待ってます...。
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by ravenono | 2010-08-31 09:51 | KOCOMATSU

KOCOMATSUに届いた葉書

このところKOCOMATSUを訪れた方々からの手紙や葉書が続いています。かつては自分もメモ書きのように、感じたこと、感謝なこと、伝えたいことを手紙や葉書にしたためて居たのに、最近はさっぱりです。受け取るばかりで、送るのはDMの類ばかり。後はメールの類で済ませてしまう。かなり味気ないパターンになっています。

 そういうところに、手書きの文字が届くのは、温かさを感じますし、嬉しく心地よいものです。書くこと、読むこと、話すこと。どこに自分らしさがあるのでしょうね。

 受け取った葉書を見ていると、比較的年配の方からのものが多いことに気づきます。しかし、そういうことはこの時代で終わるのかもしれません。PC世代が高齢化しても、あえて葉書や手紙を使うことはないような気がするのです。

 便利さを得たけれど、何か大切なことを置き去りにしてしまう..。時代が生んだ便利ものの類が人と人との繋がりを変え、なぜかしら表面的な心の使い方で済ませても気にならない自分になっているのかもしれません。

 ホームページを見て、CD聞いて、DVDで情報を得る。それで何となくわかったような気持ちになってしまう。そういう要素が、気付いたらあちこちにあるのだと思います。色んな事を知っているけど、誰とも繋がっていない、不思議な孤立が心を不安定にさせることもあるのだと思います。

 KOCOMATSUというスペースが、どんな風になっていくのかは分からないけれど、届けられる手紙や葉書を見ていると、こういうスペースがあって良かったと思う人たちがいるんだな~と感じます。
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by ravenono | 2010-08-27 12:09 | KOCOMATSU

まずはディジュ三昧

KOCOMATSUでやってみたいことの一つ。ディジュ三昧のライブが10月24日(日)に実現することになりました。3人のディジュ奏者が、この日程で顔を揃えることになりました。昼の部と夜の部の2回。演奏者と聴衆が一つの輪になって響きの中に浸るライブです。

 それぞれ、違った形で出会った3人の演奏者ですが、現地オーストラリアでのディジュ体験という共通点があります。年代も、個性も様々な方々が、ひとつの巨大な笛を吹き交わす、ある意味ちょっと奇妙なライブではあります。(その間に、かすかにラブフルートの音色が流れ去る..かも)

 演奏者自身が楽しめる。このポイントは大切だと思っています。そして、この3者は、別々の時間にKOCOMATSUを訪れ、ちょっと居心地よさそうな感じを抱いています。同じ楽器の演奏者同士が、同じ空間でライブをするという変わったスタイルですが、ここにはちょっとした目論見があります。

 それがうまくいくのかどうか、或いは全く予期しないことが起こるのか、そのあたりは何とも楽しみです。ディジュリドゥという笛は、音程はずっと同じだけれど、表現が多様で本能的な領域が刺激される響きを持っています。単調と言えば単調ですが、単調さの中で動き出す自分の内面が忽然と現れる響きでもあります。

 獣の叫びのような響き、野生動物の前で縮み上がる人間。論理も理屈もそっちのけで、腰が抜けたり、とにかく逃げ回ったり。或いは、奥深い森の中に迷い込む不安。それとは逆に、沸き起こってくる魂の力強さ。そういうことがリアルに起こってくる...。

 突然、泣き叫ぶかもしれないし、怯えるかもしれない。快活な笑いが起こるかもしれないし、立ちあがって踊り出したくなるかもしれない。うずくまって、淡々と響きの中に浸りきるのかもしれない。静かな勇気と出会えるかもしれない。

 たとえわずかな時間ではあっても、そうした原初的な何かに触れる。そこに現れる自分自身に直面する場になるかもしれないと思うのです。メロディーラインが中心の楽器には、雑多な価値観や認識に伴う判断という作用が生まれやすいような気がします。ディジュは、それとは違うものになる可能性が高いように思うのです。

 勿論、演奏者は単調さから解放され、様々な技巧を駆使してパフォーマンスを展開することもあるでしょう。それでも、原点にある一音の響きと循環呼吸が引き起こす不思議な感覚に触れることはできると思うのです。

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               歌うたう木々
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by ravenono | 2010-08-21 02:07 | 響きあう

どんな風に響くのか

ほぼ一年ぶりで恵み野キャニオンでラブフルートを吹いてきました。今月から来月にかけて、しばらくライブが続くこともあり、一本一本じっくり手に取り、息を注ぎ、それぞれの個性を感じ取りながらの時間でした。

 KOCOMATSUの響き中心のパターンから抜け出て、ようやく久々に解放された空間で吹いてみると、それもまた新鮮な感覚でした。

 内側と外側の世界。それぞれに大切なものがあるのだろうと思います。二面的もしくは対照的な世界と言ってみるけれど、自分自身は変わりません。但し、変わらない自分とはいうものの、自分自身が分かっていない自分の領域もあるように思います。

 場が変わることで、ちょっと違った視点から自分を感じる。すると音も響きも違っている事に気づき始めます。演奏をしていると、場が音や響きを作り出すことを強く感じます。

 PAの方との相性のようなものもあって、自分の響きが全く異質に仕上がることもあります。もはやラブフルートの響きとは違ったものが広がるときは、木々の響きがどうであれ、どんな曲調で、どんな風に刺激するメロディーなのかといったことが中心になります。

 極力、そういうスタイルを少なくするために何度か手持ちのPAを買い替えて来ましたが、当然どこにでも合わせられるわけではありません。空間の広さ、集まられる人の数、屋内か屋外か、反射する要素がどれくらいあるのか..。ともすれば、自分たちの音がどうなっているか十分には把握できないまま始めることさえあります。

 そんなあれこれを思うと、果たしてKOCOMATSUの響きはどうなのか、これからどうしていくのが良いか...改めて捕らえなおしてみる必要を感じています。

 それにしても、30度の気温の中、屋外で数時間吹き込むのは、それなりに体力を使うな~と感じました。
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by ravenono | 2010-08-17 10:37 | 響きあう

やってみたいと思っていること

 KOCOMATSUでやってみたいことが幾つかあります。一つはこの秋に予定しているキャンドルスタンド(フォルダー)と蜜蝋キャンドルの展示会です。キャンドルの光が生活の中に浸透すると、何か不思議な力や大切なものが浮かび上がってくるように感じているからです。

 もう一つやってみようと思っているのは、ディジュリドゥーの響きにどっぷりとひたりきるライブです。それも、一人の演奏者ではなく、複数のディジュ奏者が集まって交互に吹き交わしたり、一緒に吹くと云ったライブです。

 ウッドベースだけのライブ、あるいはトンコリだけ,口琴だけのライブなどもいつか実現したいと思っています。こうした思いは、ひとつの響き、ひとつの楽器の持っている世界をゆっくり、じっくり感じることが大事だな~と感じているからです。

 音響を使った大掛かりなライブや演奏、他の楽器と合奏するスタイルとは違う空間が必要だと感じているのです。音楽が、ともすればパフォーマンス中心になったり、技術の披露になりがちかな..と。それはそれで楽しさも満足感もあると思います。自分自身もそういう場に出向くことも少なくありません。

 だからこそ、ゆっくり壁に寄り掛かって、のんびりじっくり一つの音の世界を感じる空間があればいいなと感じています。こうしたスタイルは、ある意味演奏者にとっては緊迫感があると思います。かすかな響きも忠実に響かせる空間ですから、まさに生音そのものが聴こえてきます。だからこそ、音楽の持つ魅力に触れられるような気もしています。

 演奏者自身が楽しみ、満足できること。それが響きの中に集まる一人一人にも分かち合える。そんなことを、ゆっくりやっていけるといいかなと思っています。演奏者がたっぷりエネルギーを受け取れる場を持つことは大切だと思います。聴いてもらうと云う方向性だけでは気づかないものが沢山あると思うのです。

 書きあげてみたことは、素朴にやってみたいことですが、色んなかかわりの中で新鮮な世界と触れ合う場が生まれればいいかなと思っています。

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by ravenono | 2010-08-12 11:05 | KOCOMATSU

8/8・八・蜂

 8月8日のKOCOMATSU・オープン ささやかな感謝会が終わりました。天候はめまぐるしく変化し、晴れたり曇ったり土砂降りになったりでしたが、基本的には晴れて湿度の高い夏の一日になりました。

 前日はおもてなし料理に取り組んで明け方近くになんとかひと眠り。天候によってセッティングが変わるので、どちらでも良いようにというスタイルになり、ちょっと大変..。

 前日の夜は、初めてKOCOMATSUでの宿泊を体験しました。鳥たちの声に起こされて、ふと眼をあけると、目の前いっぱいにステンドグラスの光が飛び込んできました。視界ぎりぎりいっぱいに5枚のステンドの輝きが広がりました。

 こういう目覚め方は生まれて初めて。何とも心地よく、すがすがしく、嬉しい目覚めでした。小さなスペースに注がれる豊かな色彩の光、静寂の中の空間は、心をゆっくりと満たしてくれました。何度か確認するように視界を広げてから感謝会の準備を始めました。

 ポツリポツリとそれぞれのペースで集まり始めた皆さんとあいさつを交わしながら、のんびり食事を始めました。生春巻き、野菜のテリーヌ、スモークサーモンのマリネ、パプリカの冷スープ、ユリ根とかぼちゃのスープ、リンゴとレーズンの蜂蜜デザート、大根菜の油炒め、蕗の梅漬け、飲み物いろいろ。これに加えて、お持ち寄りの数々。中でもステンド作家のIさんのクスクス料理は好評でした。よくもこんなに食べ続けられるね~と言いながら、また..食べてる!

 乳幼児の笑顔や楽しい動きもありました。フルートも吹きました、おしゃべりも弾みました。ディジュリドゥーもトンコリも口琴もドラムも楽しみました。そしてこの日は、何故かスズメバチも参加して、KOCOMATSUの天井にやってきました。8月の8の日に、八角堂?にハチがいっぱいという8尽くしの不思議な一日になりました。

 次々とやってきて、それぞれ自由に引き上げる流れの中で、嬉しいプレゼントなどもありKOCOMATSUに来られる方々を楽しませてくれそうです。

 八面のかべの内側に並んだ方々は、あたかも大家族のような賑やかさの中で楽しみました。入り口前のテーブルを囲んだ談笑も、夜の部で開かれたIさんのオーロラ写真の上映会も楽しみました。

 少しずつ備品をそろえ、色んな形で生かされるスペースになっていくことを楽しみにスタートを切りました。対応に追われて、用意していたカメラのシャッターを切ることは一度もなく終わりましたが、それもまたよし。これから先へと目を向けたいと思います。様々な形でKOCOMATSUスタートに心をかけてくださった方々への感謝をこめて、報告させていただきました。

 
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by ravenono | 2010-08-09 11:49 | KOCOMATSU

お茶と光の空間

 KOCOMATSUでお茶を楽しむ会が開かれました。太陽が、この日のために惜しみなく光を注いでくれました。しかも、雲たちとの見事なハーモニーもありましたから、浮かんでは消え、消えては突如現れる。変幻自在なパフォーマンス見せてくれました。

 静かで穏やかでゆったりした流れに加えていただき、心が心地良さに浸っているのが良く分かりました。いっぱいのお茶をゆっくりと味わう。その静けさの中に、新鮮な発見があり気づきがありました。

 光の振る舞い膳のように参加された方の前に降り注いだ緑の光は、差し出された御菓子と一つとなって輝いていました。ただただ、時の流れの中の身を置いているだけで、たっぷりと満たされていく心。

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 差し出されたお茶と美しい所作を包み込む光たち..。身も心も楽しみ喜んでいるのが分かります。大地から生まれた自然茶の存在感は、こうして書きとめている時にもふと浮かび上がって来ます。

 音の響きで満たされたKOCOMATSUは、一変して、静かなお茶の場になりました。こういう場や時間を大切にする生活がどんなに満ち足りた歩みを生み出すものなのか、改めて受け止めることができました。

 様々なアプローチ、行き交う言葉の数々、様々な情報や手段を駆使して忙しく動き回ることに慣れきった生活に、いつどんな風に心底休む空間と時間を差し出せるのでしょう。静けさそのものの中にたたずむことの大切さが、いつか分かち合えるだろうか..。

 何もなくても良い、そこにいるだけで満ち足りてくる。そんなKOCOMATSUでのお茶会。また、いつか開かれるかもしれません。
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by ravenono | 2010-08-04 17:33 | 光の移ろい

KOCOMATSUステンドグラスのコメント・石戸谷準

JUN ISHIDOYA STAINEDGLASS
石戸谷 準  ステンドグラス

高窓三連作『ワタリガラスの神話』 
                    ―「最初の光」 400h×400w
                     ― 「受胎」   400h×300w
                     ― 「開花」    250h×250w

この三連作は、北米先住民に伝わる「ワタリガラスの神話」からイマジネーションを得て制作しました。
建物の八面の内、南~南西~西の面にそれぞれ「最初の光」~「受胎」~「開花」の各ステンドグラスが取り付けられており、青系~緑系~赤系の配色を計画しました。
各々の色彩は主題に即しているのはもちろんですが、方向による太陽光の特質を考慮したガラスの選択をしています。

作品の大きさも大~中~~小と変化していますが、これもまた方向による太陽光の変化と建物内部の空間の大きさを考慮して決定したものです。

「最初の光」  
ワタリガラスの姿を光のイメージに被せて抽象的に表現するつもりでしたが、かなり具象的になってしまいました。どう見ても鳥ですねえ~。“何もない世界”を表現するために作品の半分を一枚の青ガラスが占めています。右側の緑系ガラスは次の世界「受胎」へと繋がる予兆です。

「受胎」    
まだ動物がいない植物だけの世界です。最初の動物はいつどのようにして生まれたのでしょうか?おそらくは天上の種子が地球に舞い降りて、大地が受胎し母になったに違いありま  せん。多くの神話が語り継いできたことを、最新の科学が証明しようとしています。

「開花」    
植物は動物の成長を助けてきました。現在これほどまでに動物達が地球上に繁栄したのは、植物の支えがあったからです。「ワタリガラスの神話」では、“木はすべてのものの家”と言い、また“木々が私達人間を見ている”とも語っています。美しい花に見とれ、その香りに惑わされたとしても、暗い地中を這う根の存在を忘れてはなりません。

正面窓『森の音』 400h×1200w

この作品が設置されている窓は、建物の入り口ドアを開けると真正面に見えるところに位置しています。訪れる人の最初の印象を決定付け、その後の滞在中にも本人が意識するしないに関わらず影響を与え続けます。音楽で言うなら主旋律を奏でる位置ですが、僕はあえてこの作品に静かな低音部の伴奏を任せることにしました。

作品は、音に関する3つのテーマに分割して表現されています。

「吸収」 
音は波。波が消えれば音も消える。このはかない音を残すために人間は様々な方法を考え付きました。しかし実は、それ以外のところにも音は残されています。植物や土や壁、床、天井、ガラス窓にも・・・。

「反響」   
音は光と同様、物に当たってはね返されます。直接鼓膜に当たる音と、どこかにぶつかってからやってくる音、そのわずかな時間的誤差が我々に空間の広さを認識させます。
        
「共鳴」   
全く違う物質でも、振動数さえ同じなら強い共鳴を起 こすことができます。では、光が音に反応して共鳴を起こすことはあるでしょうか?
        
玄関横窓『海の音』 2145h×341w

この作品が誘うのは深い海の底です。太陽の光が届かない漆黒の闇の世界ですが、そこにも昼と夜、夏と冬の変化が届いているのではないかと思います。海中に咲く花が、夏の到来と日の出を告げています。窓の方角は東、朝一番の光がこの作品を透過して室内に射し込みます。

<溶け合う光>

ステンドグラスの楽しみ方は、ただ絵のように正面から鑑賞するだけではありません。
ガラスを透して室内に射し込んだ光が、床や壁に投影する様を眺めることも格別の楽しみ方です。
時に従い刻々と位置を変え、天候に応じて一瞬のうちに表情を変える様は、建物の内部にいながら外界との密接なつながりを感じさせてくれます。
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by ravenono | 2010-08-01 23:59 | 光の移ろい