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まずはディジュ三昧

KOCOMATSUでやってみたいことの一つ。ディジュ三昧のライブが10月24日(日)に実現することになりました。3人のディジュ奏者が、この日程で顔を揃えることになりました。昼の部と夜の部の2回。演奏者と聴衆が一つの輪になって響きの中に浸るライブです。

 それぞれ、違った形で出会った3人の演奏者ですが、現地オーストラリアでのディジュ体験という共通点があります。年代も、個性も様々な方々が、ひとつの巨大な笛を吹き交わす、ある意味ちょっと奇妙なライブではあります。(その間に、かすかにラブフルートの音色が流れ去る..かも)

 演奏者自身が楽しめる。このポイントは大切だと思っています。そして、この3者は、別々の時間にKOCOMATSUを訪れ、ちょっと居心地よさそうな感じを抱いています。同じ楽器の演奏者同士が、同じ空間でライブをするという変わったスタイルですが、ここにはちょっとした目論見があります。

 それがうまくいくのかどうか、或いは全く予期しないことが起こるのか、そのあたりは何とも楽しみです。ディジュリドゥという笛は、音程はずっと同じだけれど、表現が多様で本能的な領域が刺激される響きを持っています。単調と言えば単調ですが、単調さの中で動き出す自分の内面が忽然と現れる響きでもあります。

 獣の叫びのような響き、野生動物の前で縮み上がる人間。論理も理屈もそっちのけで、腰が抜けたり、とにかく逃げ回ったり。或いは、奥深い森の中に迷い込む不安。それとは逆に、沸き起こってくる魂の力強さ。そういうことがリアルに起こってくる...。

 突然、泣き叫ぶかもしれないし、怯えるかもしれない。快活な笑いが起こるかもしれないし、立ちあがって踊り出したくなるかもしれない。うずくまって、淡々と響きの中に浸りきるのかもしれない。静かな勇気と出会えるかもしれない。

 たとえわずかな時間ではあっても、そうした原初的な何かに触れる。そこに現れる自分自身に直面する場になるかもしれないと思うのです。メロディーラインが中心の楽器には、雑多な価値観や認識に伴う判断という作用が生まれやすいような気がします。ディジュは、それとは違うものになる可能性が高いように思うのです。

 勿論、演奏者は単調さから解放され、様々な技巧を駆使してパフォーマンスを展開することもあるでしょう。それでも、原点にある一音の響きと循環呼吸が引き起こす不思議な感覚に触れることはできると思うのです。

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               歌うたう木々
by ravenono | 2010-08-21 02:07 | 響きあう
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